________本日は取材を快く引き受けて頂き、ありがとうございます。いやぁ……しかし、10年近くも前に、突如として日本の芸能界から姿を消してしまった、数多の新人賞を総ナメにする程の売れっ子俳優に、こんなに穏やかな地中海の島でお会いできるとは……
いいでしょう?ここ。青い海と、海からの風が運んでくれる空気がとても心地良い。
窓際に腰掛けたコタロウさんが、白い歯をのぞかせて余裕のある笑顔を浮かべる。
________この島は、コタロウさんが最後に出演された映画『浜風とともに』のロケ地でもありますよね。
ええそうです。撮影中はそれなりに時間がありましたからね。ずっと過ごしているうち、この島が大好きになりました。
……その間、他にも何かこの島が好きになるようなことがなかったか?と言うと嘘になりますが……
________エッ、……違ったらすみませんね。ここだけの話、ひょっとして、「お熱いエピソード」だったりします?
ふふ。まあ、その……ね。クラッと来ちゃうことはありますよね。
コタロウさんが照れ臭そうな笑みを浮かべる。
________ここにきて初っ端からスキャンダルですか!?ぇぇぇ、色男にはまいったなぁ〜〜。……お相手は?やっぱり、共演のヨツモトアズサさん?
いやいや、アズサさんじゃないですよ。
そう言うとコタロウさんは、窓から外の方に顔を向けた。真っ青な空を一瞥したと思うと、再びこちらをキッと振り返る。
イナリコタロウの目には、かつての名演を想起させる、見る者すべてを自分の世界に誘い込むような凛とした妖力が見て取れる。
ひと呼吸置いて、彼はまた話を続けた。
…………ここに登って来るまでに、海がよく見える広い坂道を通ったでしょう?あそこの通りに白いドアのお花屋さんがあって、同じ建物の2階に小さなカフェがあったはずです。そのカフェは撮影期間中、何度も足を運んだ場所でしてね。
僕と彼女は、そこで出会いました。
一服がてら読んでいた台本の奥に、カップをテーブルに置く彼女の手が見えたんです。糸で引かれるように僕は目を上げました。
島の海にも負けないほど澄みきった青い目、透き通るような質感の肌と琥珀色の束ねた長い髪。何より、淡い浜風のような穏やかなほほ笑み。
一目惚れというやつですよ。
若い頃、語学をかじっていたのが本当に正解だった。冗談なんかもスラスラと。自然と話も弾みましたよ、彼女も映画が大好きらしくてね。実は俳優なんだ、と、茶化したように僕が言うと彼女のほうも興味を示してくれたらしく、僕が店にやって来るたび、気を遣ってこっそりと喋りに来てくれるようになりました。
しかし僕には、そこ以外で彼女と会うのはあまりにも難しかった。主役を務める以上、なかなか撮影も忙しいですし、何より当時は色んな人が僕のことを見ていましたからね。
どんな話にも、彼女は毎回、すすんで耳を貸してくれました。今振り返ると、彼女がいなければ、撮影なんか放って逃げ出していたぐらいかもしれないですね。本当に彼女には心から助けられましたよ。
撮影も終盤になって、またカフェに足を運んだ日のことでした。
クサいですけど、彼女に礼を言いたくなったんです。君のおかげで良いものが撮れたよと。彼女も僕もなんだか恥ずかしくなって。その後もずっと、ぎこちなく笑っていました。ふと時計に目をやって、僕があたふたと席を立とうとした時、
「もっとホラ話聞かせてね。本当におもしろいわ、"役者さん"は」
って彼女が言ってくれたんですね。まだちょっと照れくさかった僕は、彼女の顔を真っ直ぐ見ることができないまま、その日は店を出てしまいました。
……が、今にして思えば、なんだか不安そうな表情をその時の彼女は浮かべていたような気もします。
結局、僕がカフェに行ったのは、その日が最後でした。予定より早く撮影が済んで、そのまま日本へ帰る飛行機に乗ることになってしまったんです。
何か言っておくべきことがあったなあ。
そんな想いを誰にも明かせず抱えたまま、機内で悶々としていました。
僕が移り住んで来て以来、今も同じ店は続いています。が、彼女にはもう、そこでは会えません……
窓の遠くを過ぎてゆく飛行機雲を、コタロウさんはじっと眺めている。心なしか寂しげに見える彼の目は、元のゆったりとした目に戻っていった。
________なんだか、変に興奮してしまってすみませんでした。俳優生活の気苦労は当時から薄々感じてはいましたが、まさかこれほどまでに甘酸っぱい経験もされていたとは……
思わず言葉に詰まってしまった。コタロウさんも、少し笑みを浮かべたまま何も話さない。暖かくもしんみりとした空気が部屋を流れる。
と、ふんわりとした浜風が窓から入ってきて、静寂の中に擦れるような音を優しく鳴らす。
ガターーーーーーーーーン!!!!!!
あまりに不意のことだった。玄関扉をやかましく開け放つ音が響いた。ドタドタドタと元気の漏れ出た足音がこちらの部屋に迫ってくる。
ぱぱーーーーーーーー!!!!!!!!
コタロウさんにめがけて、澄んだ青い目をした琥珀色の髪の少年が飛びかかる。
急なことで頭の整理がつかない。狐につままれたかのように私がポカンと拍子抜けしているのに見かねたのか、慣れた手つきで我が子をキャッチしたコタロウさんが、からかうように口を開く。
はははっ、やだなぁ。僕は「役者を引退した」だなんて、一言も言っていませんよ。