【ネタバレ有】『劇場版ポケットモンスター ココ』の細部に関する考察

【ネタバレ有】劇ポケ2020の細部に関する考察


【本記事は『劇場版ポケットモンスター ココ』に関する重大なネタバレを含みます】






しばらく、ネタバレ防止の為の空白を置きます
















 お初にお目にかかります。

私、Mr.㌆㌅㍓㌰㌄(みすたーうんちーこんぐ)、(ミスターUK)と申します。

私自身、はてなブログを利用するのが初めてなので、拙い部分がありますがどうかご容赦ください。


 



あと、結構主観的な部分もあるかもしれないのでご容赦ください_:(´ཀ`」 ∠):_

「正解の解釈」ではなく、「なんかオタクが嬉々として語ってる」ものとして、半分聞き流すような感じで読んでください_:(´ཀ`」 ∠):_

























 先日公開された『劇場版ポケットモンスター ココ』、私も昨年末、劇場へと観に行って参りました。

 これまで多くの考察勢の方々がストーリーに関して記事を書かれてきたようで、様々なものを拝見いたしました。

 今回私がこの記事を書くに至った経緯としては、「私が目にした多数の記事の中では、恐らく誰も触れていない部分」に関する私の考察を、皆様と共有したいという思いに至ったことが前提にあります。

 また、1ポケモンファンとして、何らかの爪痕を残し、同じポケモンファンの皆様と交流できる機会となればと思い、このような駄文を書くに至った次第です。どうか最後までご笑覧ください。

 


















 さて、今回のテーマである

「親子」及び「排外と協調」・「人間たちとポケモンの関係性」

を看破した記事として、私の先輩のお一人が書かれたものがありました。

こちらに掲載しますので是非ご覧になってください。

私の記事の内容自体、細かいものですので、ストーリーの主軸に関する考察はしてありません、そういう意味でも是非是非_:(´ཀ`」 ∠):_


https://mesprit-481.hatenablog.com/entry/2020/12/28/090008


 本題に戻ります。

 ずばり、「今回の劇ポケの細部」に関する考察です。

 と、言いましても、細部と言えども、その多くについては既に考察がなされていることと思われますので(1月上旬現在)、本記事では「マジで殆ど誰も考察してなさそうなある1点」について的を絞って触れていきます。

(既にお書きになっている方がいらっしゃったら大変申し訳ありません……


前置きが長くなりました。


私の考察テーマは

『ゼッド博士を除いたカレンら他の研究員たちは、何故最終的に責め立てられたりしなかったのか』

というものです。


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 今回の黒幕であるゼッド博士が、ジャングルや神木、ポケモンたちに危害を加えたことは言うまでもないですが、他の研究員たちも少なからずそうした行為に加担しており、「なんか知らんけど最後他の研究員許されてて草、モヤモヤするわ〜」といったような感想を持たれた方も少なくないでしょう。実際私も、多少面食らった節はありました。しかし、よくよく考えてみれば、彼ら研究員たちは、ある意味では「許されて当然」でもあったのです。


 まずは今回のストーリーの軸であるザルードたちに焦点を当ててみましょう。彼らは、自分たちに受け継がれる歌の中における「ザルードの掟」を行動指針とし、ジャングルに住む他のポケモンたちに対して横暴で高圧的な振る舞いをしていました。


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 やがて、ゼッド博士一行が神木を目当てにジャングルへと侵攻して来ますが自分たちザルードだけでは歯が立ちません。


 しかし、暴走を始めたゼッド博士に対抗するべく、とうちゃんザルードが森のポケモンたちの協力を得て、強大な力を身に纏って現れたのをきっかけに、その歌の解釈は間違ったものであったことに気付かされたような様子を見せます。自分たちだけでなく、他の存在と手をとりあい、誰も欠かしてはならないといったことこそが本来あるべき歌の解釈だったのです。自分たちの勝手な考えに基づく、『「排外的な盲信」としてのザルードの掟』が崩れ去ったのでした。長老のセリフにも、ザルードたちがそこで間違いを自覚したことがくっきりと示されていますね。


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 さらに、森のポケモンたちも、ザルードたちに合わせて足を踏み鳴らすシーンが印象的でした。森のポケモンたちもまた、「ザルードたち同様『ジャングルに欠かせない存在』」として、排他的な姿勢を捨てて、自分たちと異なる存在と協調する姿勢を見せたことが読み取れるのではないでしょうか。



 ここで研究員たちに目を向けましょう。彼らは、信頼を置いていたゼッド博士に自らの「人間とポケモンとの調和(会社が掲げてもいる)」という理想的な信念を重ね、彼に協調していたものと見られます。


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 しかし、剥き出しになった博士の野望を前に、研究員たちの博士に対する信頼は大きく揺らいでいきます。彼らは、「排他性の象徴」であった博士の表の顔しか知らなかったのです。(ゼッド博士が「排他性の象徴」として描かれていることは、「ポケモンごとき」「私が正しい」といった、博士の発言の節々から容易に読み取れます。)


 彼らもまた、自分たちにできることはないかと、ザルードや他のポケモンたち、サトシらに協力する姿勢を見せていきました。


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 こうした経緯のもとで、カレンから、ザルード・森のポケモンたちに向けた、ジャングルの復興を約束する言葉が発せられます。


 それを聞いたザルードたちは、カレンの「伝わっている」という言葉通り、研究員たちを責め立てることなく、その言葉を受けとめ、協調していく様子を見せたのでした。

 


 ここから考察タイムに入ります



 おそらく、カレンら研究員は、自分たちと同じ信念を強く持っていると思われた「ゼッド博士」という存在に対し、盲目的になっていた節があり、その本質を見抜けないまま、計画を率いるゼッド博士に加担し、災厄に関わってしまったということに罪を感じていたのでしょう。その罪悪感から、少しでも罪滅ぼしをするために、森の復興を心から誓ったものと見られます。


 一方で、ザルードの側も、自分たちの行動指針である「ザルードの掟」というものを、曲がった解釈のもとで用いていた節があり、その本質を見抜けないまま、森のポケモンたちに危害を加えていたのでしょう。


 しかも、研究員たちは、捉え方によっては、ゼッド博士に無自覚的に利用されていた部分があるとも言えます。一方でザルードたちは、歌の本意を知らなかったとはいえ、その解釈は完全に独りよがりなものであり、「掟そのもの」には何ら悪い部分はないですし、この点で、ザルードたちの方がより独善的だとも感じられます。

 

もうここまで来れば結論は見えるでしょう。


自分たち同様に、行動指針となっていた「信頼のおける存在(実際は排他性を生み出すもととなっていた)」に対する、己の思い込みを自覚し反省するような研究員たちを、非難できる筋合い・理由など、ザルードたちには無かったのでしょう。


 (また、森のポケモンたちも、ザルードたちと同様の心情であったとすれば、研究員たちを拒むことはありません。実際、無知による過ちをポケモンたちが過度に責め立てることはないというのは、花火の筒で寝ていたタイレーツが救出された際、村人の「知らなかったとはいえタイレーツには悪いことをした(うろ覚えですが……)」という言葉を受けて、人間を激しく非難するような姿勢をタイレーツたちは見せなかったことにも表れていると思われます。)


 研究員たちのことをザルードたちが咎めなかったのは当然とも言えるのです。自分たちも、同様もしくはそれ以上の過ちを犯したうえ、今必要なのは牙を剥くことではなく、手を取り合うことだとザルードたちは分かっているのだから。


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 やはりここにも、盲信の裏に隠れた「排外」と、そこからの「協調」への移行とが、自然な流れのもとで描かれているものと見て取れるのではないでしょうか。



 私の考察は以上となります。最後までご笑覧いただきありがとうございました。

ツッコミ所等々あれば何なりとご指摘ください……_:(´` ):_   ではでは